「わ、わ、わっ!」
「ガタガタガタガタ・・・・・・・・」

妻の声で起きたのか地震の揺れで起きたの定かではありませんが
目を開けた時、視界の真ん中にあった天井の照明が猛烈に揺れていました。

9月4日
台風21号に追われながら朝7時新潟発のボンバルディアが無事に新千歳空港に到着しました。
お盆営業の振替休暇で妻の実家の札幌へ帰省。
牧場で遊んだ後、札幌へ行き、猛烈な風雨が窓ガラスをたたきまくった
一泊目の夜を越えると、意外にも穏やかな朝が待っていました。

9月5日
青空も見える2日目の心地よさに雑貨屋さんへ行ったり、カフェへ行ったりと
早くもパワー全開!楽しいことは疲れないのか疲労はなく、テーブルを囲み
その日のことを家族で談笑していると、3才の娘がうとうと・・・・。
そして大人もうとうと。 幸せな夜はすすんでいきました。ある時刻に向かって。

9月6日3時すぎ
「わ、わ、わっ!」
「ガタガタガタガタ・・・・・・・・」

猛烈に揺れる真上の照明と妻の怖がる声。

「ジャッジャッジャッ・・・・・・」そんな音になったと思います。

「え!え!え!」

僕は人差し指を自分の唇にあて、妻を落ち着かせようとしていました。 
いえ、どちらかというと冷静に判断するために静かにしてほしかったというのが
正しいかもしれません。

普段はどんくさい僕ですが、なぜか妙に冷静でどう対処しようかという一点に
頭を研ぎ澄ませていました。 

揺れが収まった後、天井の照明の傘は金具がかろうじて本体にひっかかって
真横になってぶら下がっていました。

横で寝ている3才の娘は、よくわかってはいないようでしたが
何か大変なことが起こったことは理解したようで、一緒に連れてきた人形をギュッと抱いていました。
ひとまず無事で第一波を越えたと思いました。

他の部屋で休んでいる母・父(義)も慌ててリビングに集まってきました。
しばらく、皆がなにをすべきがわからないままテレビを見ていました。

IMG_1605[1]

横浜で東日本大震災を経験した時のことと
反射的に重なりました。「あれだ」ってすぐ感じました。

そして、これからのことを考えました。
これからが長いのか?そうでもないのか????
実はこの時、北海道では正確な情報はあまりありませんでした。

妻の実家は、良いマンションではない(妻いわく)のですが
壊れるようなものでもないと思い、僕一人で必要なものを買いにコンビニへ。

やっていない可能性もあると思っていたのですが、レジ上のち~~さな非常用の
光だけで営業しているではないですか。
店に入ってみると、大勢の人が焦った顔で「何買えばいいんだ」って言いながら
手にとっては戻し、戻しては手にとりしていました。
今、必要かどうか判断に迷っているんです。

僕も同じく、水と電池はすぐ確保しましたが、他は何を買えばいいかわかりませんでした。
東日本大震災の時、トイレットペーパーが1,500円で売ってたこともあり
「トイレットペーパーかな??」でも誰も買ってない・・・・。

長引くなら缶詰・・・・・。とりあえず朝食のパン????
どんどんなくなっていく状況に焦りを感じ、気づけばかなりたくさんカゴに入れていました。

そしてすぐに家に戻りました。
真っ暗な中に懐中電灯のUFOみたいな光が2つ。
娘は寝ていました。 
もちろん父・母・姉・姪も心配でしたが、娘の状況が一番気になってました。(ここだけの話)
「よかった。よかった。」

一旦、膠着状態というか、ラジオの報道も繰り返しになり、暗闇に待機。
少し眠ったかどうか、忘れてしまいました。

夜があけると最悪な事態に。
水が出ません。

お風呂に水をためていたので、しばらくは安心ですがトイレが大変。
タンクに水を入れたり、手を洗う用の水を別においておいたり。
さほどでもないことが、かなり面倒に感じました。
いかに現代のテクノロジーに生かされているかわかります。

夜が明けて明るくなったので、少し外の状況を確認に出てみると、やっていた
コンビニもしまり、その他の店もほぼやっていません。

やっている店があっても、必要なものはまったくありません。

自転車を借りて札幌駅まで行ってみると、光のない広大な空間に人々が壁際でやすんでいます。
休んでいるというか、すべてストップした電車の再開を待っているようです。

この時、北海道すべてが止まっていたんですよね。
なんだか怖いですよね。 
あの広大な北海道のすべての電気が止まり、すべての中心である札幌も止まり・・・・。

そんなこんなでまた暗闇の夜です。

幸い娘がその状況に順応できジジと遊んでいたので、安心しました。「ほっ」

安心はしましたが、そんな中でも余震は来ており、
本震と同じ規模の地震、いやそれ以上のが来るかもということは常に
頭の片隅にありました。

それにしても、この一日が長いこと長いこと。

その後、電気が回復しましたが、いつだったか忘れてしまいました。
そしてこの後も店に必要なものは並ばず、もしくは大行列で個数制限で
買い物がやっとできる状態が長らく続きました。

改めておもうことは。
一日ちょっと電気が止まって断水しただけで、これだけの苦労があって
余震や本震の余韻とのたたかいがある。

震源地の厚真町などでは、どれだけ大変だったか、怖かったか。
子供たちはどんな気持ちになったか。
もちろん東日本大震災の被災地、台風21号の被災地。

今でももとの暮らしに戻れていない場所はたくさんあります。
一日も早く心の落ち着ける日が来てほしいと思います。

【地震の時に必要で売切れするもの】
・電池(特に単一)
・水
・ガスコンロ
・携帯の電池式充電機(とにかく携帯の電池がないとみんな苦労していました)
・ポリタンク

すいません。まだたくさんあると思いますが、ちょっとだけあげて見ました。